センターの活動 Work

Work Report 活動報告

教育と啓発活動の推進

「LGBTQ+の人」としてだけではなく、一人ひとりの個性に出会って欲しい

2022年4月、多様性をもつ一人ひとりが、伸び伸びとその個性と能力を発揮できるキャンパスづくりのため、流通経済大学ダイバーシティ共創センターが開設されました。同大学の卒業生でもあり、開設の準備からセンターに関わる浅野 なお(あさの なお)が、その想いについて語ります。

初めて中心となって担当した企画が、校舎の改修につながった

2021年4月から、大学職員としてLGBTQ+について広く知っていただく活動や、その支援体制や手続きに関するガイドラインの作成などを担当しています。

2022年の7月には、自分が中心となって障がいやケガのある方、セクシャルマイノリティの視点でめぐる学内ツアー「多様な視点で大学施設探検~キャンパスからジェンダーを考えよう~」を主催しました。流通経済大学を卒業し、職員として勤務し始めて2年目で、初めて自分で企画から実行までを担当した施策です。会議もそれまでは参加するだけの立場でしたし、主体的な進行の仕方も分からず、議論が脱線してしまい、時間内に必要な話を終えられるかヒヤヒヤしたこともありました。

センターのメンバーなど周囲の方々に力を借りて、2か月かけてなんとか準備したツアーには10名の学生・教職員・卒業生が参加してくださいました。「ゼミの先生に声をかけられて」「周りにキャンパスの施設について不便に思っている友人がいて、力になりたいので」という理由で、不便を感じている当事者ではない方も多く、私は案内する立場でしたが、多様な方々の意見から、自分も気づかなかった不便な点に新たに目を向けることができました。

その後、ツアーで発見した気づきや意見をまとめて学長にプレゼンを行い、不便なところは徐々に改修していくことが決定しました。初めてのことばかりで非常に苦労したことも多かったですが、大きな達成感を得ています。2か月を通して、たくさんのことを学んで「成長したね」と周りの方に言っていただけた時はとても嬉しい気持ちになったのですが、自分としては「学べること、やるべきことがたくさんある」と思っています。まだまだこれからです。

全校生徒の前でのカミングアウトした経験がもたらしたもの

私がダイバーシティ共創センターで仕事をすることになったのは、高校時代の出来事が関係しています。

私は生まれつきの戸籍が女性、心は男性のトランスジェンダーです。自身が高校生の時は、今のように「LGBTQ+」という言葉も世間に広く知られてはおらず、自身のセクシュアリティを伝えるにはどうしたらいいだろうと戸惑っていました。周囲の友人には、自分の恋愛対象は女性であるということを伝えていて、理解もしてくれていましたが、それ以上詳しく自分のセクシュアリティについて話すことはありませんでした。

でも自分の中には、もやもやとした気持ちが残っていました。その気持ちを整理しようと、ある時、国語の授業で「自分の恋愛対象は女性だが、結婚は男性と女性でなくてはできないのだろうか」という素直な疑問を作文で書いてみたんです。そしたら、先生の目に留まって、「浅野さん、弁論大会でこの内容について全校生徒の前で話してみない?」と声をかけられたんです。それは、今まで周りの人たちにはっきりと伝えていなかった自分のセクシュアリティを、カミングアウトするということです。

気づいたら「やります」と返事をしていました。今となっては全校生徒の前で話すなんて怖くてできないし、よくやったなと思うのですが(笑)、それだけ偏見に悩んでいたし、その状況を変えたいと思ったから決意したのだと思います。周囲の友人が理解してくれていても、LGBTQ+の人たちを「気持ち悪い」などと言う人たちの声も自分には聞こえていてみんなといても、独りぼっちでいるような気分になることも多々ありました。「弁論大会でカミングアウトしたら、偏見の目が自分に向けられて学校にいられなくなったらどうしよう」などと躊躇する気持ちもありました。でも、結局はその状況を打開したい気持ちの方が勝って、自分は全校生徒の前で話すことにしました。

弁論大会を終えてみると、私の予想と裏腹に思っていたよりポジティブな反応がかえってきました。私の言っていることを理解し、受け入れようとしてくれる人たちが多くいました。中には、世間のLGBTQ+の当事者に対して偏見を持たなくなったという子もいて、「話してよかった」と思いました。その後から、私は制服として履いていたスカートをズボンに代えてもらいました。自身の心がよりオープンになったのはこの弁論大会がきっかけです。

伝えれば、理解してくれる人たちがいるということを学んだこの経験が、今も自分がLGBTQ+に関することを広く伝える活動をしている原体験となっています。

学生時代に感じた悔しさがLGBTQ+に関する情報発信の原動力に

高校を卒業後、流通経済大学に入って、私は女子ラグビー部に入部しました。そこでもまた壁にぶつかります。

例えば、男子と女子、どちらかの更衣室に入るべきかの選択。学生生活においても、トイレは男子と女子、どちらに入るべきかすごく悩みました。悩んだ挙句、多目的トイレに入ったら、そのことだけで「トランスジェンダーだから多目的トイレに入っている」と、噂されてしまったり。何気ない一つひとつの動作だけで、とても不便に感じました。このまま理解されないままでは悔しい!という気持ちが「この大学でも、自分はLGBTQ+のことをもっと知ってもらえるように伝えていこう」と決意するきっかけとなりました。同じ想いの知人と共同で、SNSを通じて自身の生い立ちやトランスジェンダーとしての悩みなどを共有したり、自分が所属しているゼミの学生に向けて、自作のスライドでLGBTQ+に関するプレゼンテーションを行うなど、自分が伝えたいと思うことを発信していました。活動をする中で、4年生の時にゼミの先生が「今後、この大学でもLGBTQ+に関して伝えていく活動に力をいれていくので、大学に残って職員として関わってくれないか」とお声がけをいただいて、今に至ります。

実際、ダイバーシティ共創センターで働いてみて、一番大変に思うことは、自分たちの仕事にはマニュアルがなく、答えがないことです。「こうやれば仕事がうまくいく」ということがないので、自分なりに考えて学内各所に働きかけてみても、すんなりと物事が進んでいくことはまだ少ないです。正直、嬉しいことより大変なことの方が今は多いです。

そのような中でも、嬉しかったこともあります。大学で働き始めた時、自分より数十も歳が離れた上司がいました。上司は、私と出会うまでLGBTQ+の人たちのことを知りませんでした。一緒に仕事をする中で、LGBTQ+の人たちのこと、日常で苦労していることや課題について私が伝えていくにつれ、相手もそのことを一生懸命理解しようと話を聞いて、受け入れてくれました。自分よりもいくつも年上の方が柔軟に受け入れてくれた嬉しさは、今でも深く印象に残っています。現在は、その上司と別の部署で働いているのですが、折に触れて仕事の相談をするなど、たくさんのアドバイスをいただいて学んでいます。

全ての人が不便を感じない、全員がハッピーでいられるキャンパスを目指す

私が理想としているのは、「みんながハッピーでいる状態」です。LGBTQ+の人たちだけがハッピーになるのではなく、全ての学生や教職員が学内にいて「不便だな」と思わない状態を目指しています。だからこそ、先日の学内ツアーで、不便だと思われる箇所の改修が決まったことは、自分のことのように嬉しかったです。

最近は、「LGBTQ+」という言葉も知られてきました。一方、当事者である立場として自分が思うのは、対象者の人たちをこの言葉でひとくくりにするよりも、一人ひとり違ってもいいし、その個性にももっと目を向けて欲しい、ということです。言葉は広まる一方で、実際にそのことをリアルにイメージして理解できていない人がまだ多くいると感じています。当事者に会ったことがない人は、LGBTQ+の人たちについて無意識に偏見を持っていると感じる場面も多々あります。自分も別の立場で、偏見を持ってしまうことがあるかもしれません。でも、自分の友人たちがそうだったように、実際に一人の人間に出会い、その個性に触れた時、LGBTQ+の人たちへの偏ったイメージも変わるのではないかと思います。
ダイバーシティ共創センターは設立から間もなく、スムーズに役割を果たせているかと言われると、まだまだこれからなのですが、センター内には、自分の意見も聞いてしっかり尊重してくれる空気があって、そのことに救われています。センターの会議内で意見が分かれた時、自分はマイノリティになることが多いんです。そのような場があるからこそ、自分なりの意見もきちんと伝えることができています。

人間、新しい考え方や取り組みはなかなか受け入れにくいものです。でも、そのまま学校全体が変化を起こさないままではいけないとも強く感じています。新しいことを受け入れ、変化を起こすために、今自分ができることは「伝え続けること」だと思って、取り組み続けていきたいです。

2023.06.22

一覧へ戻る
ページTOPへ